10年余りの間、新製品の開発に心血を注ぎながら、ただひたすら酒らしい酒を造ることに全力を尽くし、酒造士1級の資格も取得し、醸造技術といえば私の右に出る者はいないという誇りを持って25年間、工場長として懸命に働いた。
最高の待遇を受け、希望に溢れた幸せな日々を送っていたが、酒好きの好みに合わせるだけの酒が果たして本当にいい酒なのかという思いにふとかられ、当時、密酒と批判されバカにされていた「民族酒の根源を求める研究なくしては人の真似をしているだけだ」という結論を得た。先祖代々受け継がれ、醸造した自家製の酒こそ韓民族の魂が込められた本当の韓国の酒だという思いで民俗酒研究の目標を立て邁進し始めた。
80年代初めから会社の反対を押し切って全国の図書館を歩き回りながら民俗酒に関する文献資料を収集し、時間さえあれば山里の奥地や小さな島に至るまで特異な民俗酒があると聞けばどこへでも訪ねていった。代々に伝えられる秘法だからと教えてくれないおばあさん、お母さんたちは説得して醸造のし方を聞き出したりもした。狂ったように全国津々浦々を歩き回ると財産は使い果たし、会社も欠勤することが多くなり支障を来たすようになった。現地の調査で得た方法で酒を醸造すること数十回、妻や会社の責任者からは気違いじみたことはそれくらいにして正気に戻れという忠告を何度も受けながら自分なりの一筋の道を歩もうという人生は続いた。職場を捨てて一人済州島に渡り、これまでに採集した民俗酒200種余りを直接醸造してみた。失敗を繰り返し心の苦痛に耐えきれず人生を放棄しようかと何度も考えた。
そのたびに「死ぬ勇気があるならどんな困難も克服できるはず」と固い決意でこれまでの研究の結果として『もう一度探し求めるべき我が民族の酒』と『韓国の地で熟成した我が民族の酒』という本を発刊した。遅ればせながら政府も民族遺産を貴重に思い始め、我が民族のものを探し求めるという一環で民俗酒を探索、調査するとこになり、そのお陰で『梨薑酒』で88年に無形文化財の指定を、96年には名人の称号を受けた。一筋の人生の道を歩んできた私の執念が珍しく特異だったためか、ウンジン出版社から『その家には酒がある』というタイトルで本が発刊され、95年には本の内容を題材にしてKBSTVが大型ドラマを制作、放映した。6代前の先祖の時代からの秘法で醸造してきた伝統の自家製の酒である『梨薑酒』の免許を獲得し、会社を設立するために辞表を出すろ、技術と経営は別物と口をすっぱくして言う多くの会社の同僚や家族、親戚がいた。特に「一流の技術者としての道を行くべきじゃないか、酒で商売しようと立派な職場を捨てるのか」と怒鳴りつける両親や一族の老人たちの反対を押し切るのは容易なことではなかった。
「やればできる」という固い信念と自分はただ自分の道だけを進んでいくというこだわりの執念一つで全ての難関を克服し、今や民俗酒第一の味と最高の売上高、輸出量1位の誇りと達成感でさらに努力し、第2工場を建設して果物酒の生産にも拍車をかけている。
6代目の自家製酒として受け継がれてきた梨薑酒を醸造する秘法と私の専攻した醸造学との出会いが今日の梨薑酒としての出発となった。伝統的な蒸溜方式で焼酎を汲み取り、梨、生姜、鬱金、桂皮を入れて酒を醸造し、ハンボン蜜を加味した酒、梨薑酒は六堂、崔南善の朝鮮問答紙に湖山春、竹瀝膏と共に韓国の3大名酒と紹介されており、鳳山仮面舞踊でも「梨薑酒、梨花酒を差し出して」という文句がある。
朝鮮末、高宗皇帝の時代の米韓通商条約や最近の南北赤十字会談の晩餐でも梨薑酒は代表的な酒として用いられ、加工産業育成の功労として石塔産業勲章の受勲や大統領賞受賞という栄光ももたらした。2004年、BEST-5に入賞し、2005年、 盧武鉉大統領の正月の贈物としても公式に選定され納品された。
過ぎた過去の歴史を振り返ってみると、逆境の連続を忍耐と根性で乗り越えたからこそ大切な実が得られたのではないかと思われる。これまで妻や娘たちが共に苦痛に耐えてくれたことをありがたく思うと同時に申し訳なさでいっぱいである。残りの人生を深い愛情と信頼で共に幸せを築くことを約束し誓うものである。
現在、韓国名人協会の会長を任されているが、任期中は民俗酒の発展に総力を傾け、我が民族のものが最高だという誇りを持って、世界に一際光る韓国の味を再創造していく覚悟である。梨薑酒を世界一の名酒にするために現在、日本に輸出中であるジャパニーズ梨薑酒をはじめとする輸出用の梨薑酒の開発を続け、世界の至る所で梨薑酒が最高だという言葉が自然に聞こえてくるように名実共に世界最高の名酒に造り上げることに渾身の力を尽くしていくつもりである。
第2工場に共に建てた酒造歴史博物館の1,300点余りの酒醸造の道具および伝統酒の貴重な民族資料をさらに収集してしっかり保存し、我が民族の酒の脈と魂を学ぶ生きた教育の場として活用し、次世代の若者たちが自身と誇りを持って学んで研究することのできる場に作りあげていくつもりである。『全州梨薑酒』の経営をさらにしっかりと堅実なものにし、企業利潤を社会に還元することで暗闇に光を差し、悲しみに喜びを与えることのできる奉仕の姿勢で、後世の人々が幸せで福に満ちた暮らしを送ることができる先進的祖国の建設に一役買いたいと思う次第である。私の人生の最後の願いである酒造専門特殊大学の設立と奨学財団創設の夢が早期に現実となり、大韓民国醸造技術のメッカとなって世界にはばたく日には、「私がここまで成し遂げたのだからあとは君たちに任せた」と笑顔で次の世代にバトンを渡す素的な姿をお見せしたいと思う。
人生を九回もやり直した寂しい一筋の道が、今はみんなといっしょに生きる楽しい道となり、みんなが力強いステップで共に歩む希望に溢れた人生の道になることを切に願うものである。
|